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Date:September-20-2006

狐憑病新論と癲狂院

京極堂シリーズ"姑獲鳥の夏"作中に登場する狐憑病新論とその著者、及び癲狂院は実在するか

1.狐憑病新論

 私が四冊目の本を物色しようと店のほうに行くと、帳場には主人の姿はなく、その代わりに何冊かの本が置いてあった。たぶん主(あるじ)の読みさしだろう。
『人狐辨惑談』
『狐憑病新論』
 今更何を読んでいるのだ。

「それは大変有意義な本だ。『狐憑病新論』を書いた門脇という人は巣鴨の癲狂院(てんきょういん)の医局員をしていた人だ。君も知っているのじゃないか?」
京極夏彦: 文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社, 1998)p607

特定するためには、中禅寺秋彦(京極堂)の述べた内容と合致する必要がある:
(a) 書名(狐憑病新論)
(b) 著者名(門脇)
(c) 著者の経歴(巣鴨にある癲狂院の医局員だった)


該当する書籍は、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに収蔵されている。(ちなみに本文は読みかけて早々に挫折しましたので、他の方にお任せします)

書誌情報 近代デジタルライブラリー 狐憑病新論

明治三十四年散る花を硯に受けつゝ巣鴨の園にて
島の舎主人 眞枝識す
門脇眞枝: 狐憑病新論 (博文館, 1902) 緒言

書名は狐憑病新論(こひょうびょうしんろん)、1902(明治35)年発行;(a)に合致。 著者は王子精神病院(後の王子脳病院か)院長の門脇眞枝(かどわきさかえ, 1872-); (b)に合致。 東京巣鴨病院の在籍時に狐憑證の患者の検査を担当した。その経験に着眼し、記したものである; (c)に合致。(a)(b)(c)全ての条件にあうことから、中禅寺が読んでいた狐憑病新論は、本書とみて間違いないだろう。

門脇氏は東京帝國大学医科大学精神病学教室の初代教授だった榊俶(さかきはじめ)博士の門下生であり、呉博士(欧州に滞在中との記述があるので呉秀三博士か?)の指導を受けた。

校閲者は東京帝大医大法医学教授/国家医学会代表の片山國嘉(かたやまくにか)博士。榊俶博士の病死後、臨時で代講を担当したこともある。片山博士の後任の呉秀三(くれしゅうぞう)博士/東京帝大医大教授は日本の精神医療のルーツを築いた人物であり、東京府癲狂院/巣鴨病院の院長も兼任した。

東京府癲狂院/巣鴨病院は東京帝大医大精神病学教室の臨床研修の場ともなっており、関係が深かった。

余談ですが、著者の家に秘蔵されていた患者の手による書("正一位稲荷大明神"ときつねさんの絵がかいてある、寛永時代のもの?)が収録されていたり、引用書目に挙げられている文献類に宇治拾遺物語や古今妖怪考などが並んだりと(人狐辨惑談も)、興味深い内容です。(でも本文は最後まで通読していない)

2.巣鴨の癲狂院

 一人は初老、一人は中年の紳士だった。私は右も左も解らず、ただこの辺りの大きな病院に行きたいのですが――と、その二人連れに尋ねたのだ。
 ――この辺りにそんなものはない。
 ――そうだよ。ここにあるのはお墓ばかりだよ。兄さん。
 ――なんだい、何とか返答しな。折角親切に教えてるんじゃないか。
 ――こいつはたぶん、巣鴨の癲狂院からでも逃げてきた狂いだよ。
 ――この辺で大きな病院といえばあそこさ。
 ――そうか、おうちに帰りたいか。
同上 p202

1で引用した中禅寺のせりふに登場する"巣鴨の癲狂院"をA; 関口巽の回想に登場する"巣鴨の癲狂院"をBとする。AとBが同一である可能性を見出すには、最低限次の条件を満たす必要がある:
(a) 狐憑病新論の著者が医局員として在籍していた
(b) 関口が久遠寺医院を訪れた1940(昭和15)年頃も、近くにあった

東京府巣鴨病院は門脇氏が在籍していた;(a)に合致。巣鴨病院は1919(大正8)年に松澤村(現 世田谷区松沢)に移転し東京府立松澤病院と改名。現在の都立松沢病院である。関口巽は1922年前後の誕生らしいので時期があわない;(b)に合致しない。よってAとBは同一ではないと判断する。

Aは、1.で既に述べたように東京府巣鴨病院だろう。Bは、(実在/架空の区別をおいても)別にあるという設定ではないか。昭和初期、巣鴨には保養院や脳病院があったらしい。cf. 坂口安吾デジタルミュージアム:年譜, シルバー回顧録:巣鴨の脳病院, サイコドクターぶらり旅:島田清次郎とうろおぼえ座談会

更に条件(b)にあう病院が実在したとして、それとBを結び付けるには、同時期に周辺地域に他の精神医療機関が存在しなかった; 作中に登場する病院にはモデルがあるということを証明しなければならない(ということにたった今気付きました。うわー)。

しかもこの小説自体が、人間の記憶は非常にあいまいで信用できないものであると作者が考え、それに基づいて描かれているのかもしれない。Bは一部の作中人物の記憶の中にのみ、存在している可能性もある。[1]この項目については、現段階での判断を保留する。

3.結論(はない)

1.はともかく、2.は意外なところで叙述トリックなのかー、みたいな。(ミステリー小説は滅多に読まないので華麗にひっかかりました)

あるいは、関口が虚偽の記憶(False Memory Syndrome)[2]を生じる; 生じさせられるような経験をしたという設定がある、とか。(道端にワームホールがあいていて、うっかりはまったら時空を超えちゃった、ということはあまりないと思う)

久遠寺医院での出来事も、なんとはなしに気になりませんか。(中禅寺ではなく)作者である京極夏彦先生の仕掛けではないかと思えなくもない箇所はありますよね(中禅寺/榎木津と通行人の共通点など)。塗仏の宴もあれだったでしょう。
もしかしたら二重三重底の構造になっているのかもしれません。底板を外しても外さなくてもご利用頂けます、というように。 それよりもまず、小説だしフィクションだし。

どうしましょう。オチがないんですが。

[1][2]
記憶を植え付けることは、きわめて容易である。また日常生活から精神分析/カウンセリングの現場に至るまで、虚偽の記憶が生じることはしばしばある。
非日常的な経験をし、強いインパクトを受けたと自認する当事者の記憶であっても、(地球外生命体との遭遇から事件の目撃、家庭内での暴力等の幼児体験、いわゆるトラウマまで)事実であるとは断定できない。
詳細は認知倫理学者のロフタスなどの著作で。

"False Memory Syndrome" 著者:Loftus - Google Scholar
エリザベス・F・ロフタス(Elizabeth F. Loftus):
目撃証言(岩波書店, 2000)
抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって(誠信書房, 2000)
目撃者の証言(誠信書房, 1987)
参考
小俣和一郎: 精神医学の歴史(第三文明社, 2005)
東京大学医学部精神神経科:沿革
日本における精神医療関連法規の歴史1
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狐憑病新論
Name:かどわきみほ
うちのおじいちゃんの本があの京極さんの本に載っていたとは…共同幻想論に載ってるのは知っていましたけど。
ちなみに名前はマサエです。秋元先生が間違えてからサカエで通用しています。どうでもいいことかもしれないけど。
July-30-2007, 11:16:14 Edit:
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